平安時代の美人の基準とは?条件や美人ランキングも紹介します!

平安時代の美人の基準とは?条件や美人ランキングも紹介します!

平安時代の美人。いわゆる『平安美人』とはどのような容姿だったのでしょうか?興味を持っておられる方もいるのではないでしょうか?そこで本記事では『平安美人』の基準や条件について詳しく解説していきたいと思います。

平安美人ランキングなども紹介していきます!!

平安時代の美人の基準

平安美人の基準に関しましては、その根拠となる容姿に関する詳細な資料や記載、表現が無く、平安美人とは、このような方でした、という明確な提示ができません。

源氏物語絵巻に描かれている女性の絵姿が平安美人なのでは?と、思いがちですがそうではないのです。源氏物語絵巻は、人物の描き方に「引目鉤鼻(ひきめかぎばな)」という技法が使われています。この技法は写実性がなく、あえて個性を抑えて抽象的に描くことによって、鑑賞者側に好きな顔立ちや表情を想像させて鑑賞してもらうという意図がある技法なのです。したがって、その技法によって平安時代の女性は皆、おちょぼ口のおかめさん顔に描かれてしまっています。

一方で、源氏物語の中には、「不美人」な姫君が3姫紹介されています。

空蝉 末摘花 花散里の3姫です。

この3姫の内、2姫の空蝉 末摘花に関しては、どの点が「不美人」であったのか、いわゆるブサイク・ポイントの容姿の記載が源氏物語にあります。先ずは「不美人」である容姿要素を検証して、その「不美人」ポイントを基に、その逆説から「平安美人」の基準を割り出していってみたいと思います。

・空蝉の容姿について

/// 源氏物語原文 ///
目すこし腫れたる心地して、鼻などもあざやかなるところなうねびれて、にほはしきところも見えず。 言ひ立つれば、 悪ろきによれる容貌をいといたうもてつけて、 このまされる人よりは心あらむと、目とどめつべきさましたり。

源氏物語「空蝉」より引用

/// 現代語訳 ///
目は少し腫れぼったい感じがして、鼻筋も通ってなく老けた様子で、美しいところが見えない。言い連ねると、悪いことばかりになる容貌をよく取り繕って、近くの美しさで優っている人(軒端荻)よりは趣味がよかろうと、目を引くような様子をしている。

・末摘花の容姿について

/// 源氏物語原文 ///
 まづ、居丈の高く、を背長に見えたまふに、「 さればよ」と、胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、鼻なりけり。ふと目ぞとまる。 普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり。色は雪恥づかしく白うて真青に、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、おほかたおどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへること、いとほしげにさらぼひて、 肩のほどなどは、いたげなるまで衣の上まで見ゆ。

源氏物語「末摘花」より引用

/// 現代語訳 ///
先ず、座高が高く、胴が長くお見えなので、「やっぱりな」と、残念だった。次に、ああブサイクだなと思うのは、鼻である。つい目がいってしまう。普賢菩薩が乗った象を思い浮かばせる。あきれるほど鼻が高くて長く、先の方がすこし垂れ下がって赤味を帯びているのは、特にひどい。顔色は、雪も恥じるほど白くまっ青で、おでこが大変広い上に、下ぶくれの顔つきは、顔全体が不気味なくらいすごく面長なのであろう。痩せ細っていらっしゃる姿は、可哀想なくらい骨ばっており、肩の骨などは、痛々しいくらいに着物の上から見てもわかる。

一方で、玉鬘はたくさんの貴公子から求婚された美人の姫君なのですが、玉鬘の容姿について、源氏物語に以下のような記載があります。

/// 源氏物語原文 ///
まみのあまりわららかなるぞ、いとしも品高く見えざりける。

/// 現代語訳 ///
目が大き過ぎる感じが、あまり上品には見えなかった。

源氏物語「野分」より引用

玉鬘は美しい人ではあるけども、目が大きすぎて品が欠けてしまうところだけが残念な点であると書かれています。

これらの情報をまとめて「平安の不美人像」を以下の様に列記します。

・平安時代の不美人像

・腫れぼったいまぶた

・大きすぎる目

・鼻筋が通ってない低い鼻

・ワシ鼻(かぎ鼻)

・高い座高(身長)

・病的に顔が青白く、精気が無い

・過度な面長

・痩せすぎ(ガリガリである)


平安美人の定義を、これら不美人とされる要素を逆転して考察し割り出してみましょう。


・平安時代の美人像

・スッキリしたまぶた

・大きすぎない目

・鼻筋の通った鼻

・日本人らしい小さい鼻

・身長の低い小柄なタイプ

・血色の良い色白の肌

・小さい顔

・女性らしく丸みがあり、程よく締まった体系

これらの逆説から得た平安美人の要素をまとめてみると、

目は大き過ぎず、スッキリとしたまぶた。すなわち、きれいな切れ長の目であること。

鼻は外国人のようなワシ鼻ではなく、高すぎず低すぎず、鼻筋が通った小さい鼻で、小鼻も小さい日本人的な鼻であること。

体系は小柄で小顔、程よく丸みがあって血色の良い色白の肌であること。

口は、定義できる資料がないですが、舞子さんや芸子さんの紅のさし方を参考に勝手に定義すると、おちょぼ口よりのスッキリ小さめな口であること。

平安時代の美人の基準としては以上があげられます。

平安時代の美人の条件5つ

・大きすぎないスッキリとした切れ長の目

・鼻筋の通った小さい鼻

・小さめのスッキリ引き締まった口

・小顔で健康的な色白の肌

・女性らしく丸みがあり、程よく締まった身長の低い小柄な体系

平安時代の美人の条件として特に大事だったと思われるのが以上5つです。

平安時代の美人ランキング

平安時代美人ランキングは諸説あると思います。その中で、有力候補を中心にランキング付けをしていきたいと思います。ランキングの順位や挙げる名は個人勝手なので予めご容赦ください。

1位 小野小町

世界三大美人にも名をつらね、絶世の美女として有名な女性です。しかし、その素性についてはほとんど明らかにされておらず謎が多い人物です。恋の歌が多く、モテていた様子も伺えることから、美人の代名詞ともされているため、知名度からいっても、1位と言ってもよいでしょう。

2位 和泉式部

和泉式部といえば、紫式部からも「和歌の天才」と言わしめた、和歌の達人です。

「和泉式部日記」にも記載されている、為尊親王(ためたかしんのう)と敦道親王(あつみちしんのう)、両親王との身分の差を超えた大恋愛を成就させたエピソードなどで、恋多き女性として有名です。

3位 藤原定子

一条天皇の皇后で清少納言が仕えたことで有名です。その美しさを清少納言が絶賛しており、一条天皇からは深い寵愛を受けました。定子は美貌とユーモアのある性格を持ち合わせた平安美人であったのではないでしょうか。

4位 藤原道綱の母

本朝三美人の一人である。「蜻蛉日記(かげろうにっき)」の作者としても有名です。

息子である藤原道綱と共に「中古三十六歌仙(ちゅうこさんじゅうろっかせん)」のひとりに選ばれるなど、歌人としても才能が認められた女性です。

5位 大弐三位(だいにのさんみ)

紫式部の娘で、本名を「藤原賢子」と言います。母の紫式部の控えめな性格とは違って、かなり朗らかで明るい性格だったようです。大弐三位(だいにのさんみ)は、藤原頼宗、藤原定頼、源朝任といった男性貴族とも交際があったとされ、残っている和歌からはかなりの恋愛上手であったことがうかがえます。大弐三位(だいにのさんみ)は親仁親王の乳母を務めたり、典侍(ないしのすけ)という役職についたり、見事に女性の出世コースを進みました。出世コースをものにした大弐三位(だいにのさんみ)は、男性貴族を虜にできるような魅力的な女性であったのではないでしょうか。

平安美人の芸能人

先述で紐解いた“平安美人の基準“を踏まえて、好き勝手に選出してみました。

吉瀬美智子さん

木村多江さん

石川佳純さん

伊藤沙里さん

水川あさみさん

平安時代の美人に関するQ&A

平安美人は悪口?

“平安美人”は悪口になるかというと、一概にはそうは言い切れないでしょう。

平安時代の女性といえば、一般的には絵巻物に描かれているようなおかめさん顔が想像されます。そのようなおかめ顔だという意味で比喩的に使われたとするとそれはやはりすこし小バカにしたような意味合いを含んでいるかもしれません。しかしながら、おかめ顔が決して悪いわけではないですし、朗らかな優しい印象のお顔という意味で使われる可能性もあります。

先述の記事のように、平安美人を紐解いていくと、現代の美人とさほど変わらないのではないか?という印象を受けます。

“平安美人”は使う人の意図によって悪口になったり、そうでなかったりすると思います。“平安美人”は、悪口であるとは、決して一概に断定はできないでしょう。

美人の基準が時代によって違うのはなぜ?

美人の基準は、各々個人の好みにより異なりますし、一般的多数の意見によるところとなりますので、一概に確定的な美人の基準を述べることはできません。私的な意見にはなりますが、時代による美人の基準の違いは、さほどないのではないかなと感じています。お歯黒などに代表される、その時代時代の文化の違いが美人の基準に多少の影響を与えているのではないかと思います。

江戸時代の美人の特徴は?

浮世絵などを見ると、江戸時代の美人の特徴は平安時代とさほど変わらないように感じます。ただ、浮世絵も平安時代の絵巻物の画と同様に、顔に関しては非常に抽象的に描かれています。喜多川歌麿の三美人の画を見ても三人とも皆同じ顔をしています。浮世絵は髪型や服装などのファッション性の表現に重視しているという説もあり、顔については表現することにさほど注力されてないという説もあります。しかしながら判断材料がないので浮世絵の女性の顔から江戸時代の美人の基準を想定すると以下の様になるのではないでしょうか。

・スッキリした切れ長の目

・鼻筋の通った大きすぎない鼻

・小さい口

・細面

・富士額

・スラっとした体型

・健康的な白い肌

・きれいな黒髪

平安時代の美人の基準とはさほどの違いはないように感じます。

明治時代の美人の特徴は?

西洋文化が流れ込み、和洋折衷の時代で西洋文化への転換期の時代ともいえます。写真なども撮られるようになってきました。幕末から明治時代に至っては、“美人”を写真で見ることができるので美人の特徴がよくわかります。明治時代の美人の特徴は以下の様になるのではないでしょうか。

・大きな目

・二重まぶた

・高い鼻

・引き締まった口元

・シャープな顔立ち

・スラっとスリムな体系

陸奥亮子さん、楠本高子さん、斎藤きちさん、鍋島榮子さん、萬龍さんなどのお写真を拝見いたしますと、気品あふれる美しさを感じます。その美しさは現代にも通じるものを感じます。

まとめ:平安時代の美人の基準は現代とは違う?

“美人の基準”は各個人の好みや、各々の主観があるので正解というものはありません。おおむね多数の人が美人と思うであろう基準を述べてまいりました。

私的には、現代も平安時代も、さほど“美人の基準”には違いが無いように感じています。

各々の時代の文化の違いによって、”美人の基準”の違いが生じたかもしれないですが、根本的な部分はさほど変わってないのではないかと感じています。白い歯を見せることが下品とされていた時代ではお歯黒であったり、扇で口元を隠したりしますが、すました顔を先述の“平安美人の基準要素”に当てはめれば、現代でも同じ美人が存在していることがわかります。平安時代の絵巻物や浮世絵の絵の見た目を鵜吞みにすることは危険でしょう。日本では絵を見る側に想像力を与える抽象的な画法がとり入れられています。日本の伝統芸能の“能”にも感受性を観る側に与える、委ねるという文化が日本にはあります。写実的な西洋のものとは違い、風貌であったり、風景を観る側に想像させるように描かれてます。

絵巻物や浮世絵の画法を無視すれば、“美人の基準”は、平安時代も現代もさほど変わらなかったのではないか?と思います。