紫式部の死因とは?晩年の状況や暗殺されたのかどうかを解説します
紫式部は源氏物語の作者として有名ですが、晩年の様子についてはよく分からないという人が多いのではないでしょうか?
そこで本記事では、紫式部の死因や晩年の状況について紹介していきます。
紫式部が暗殺されたのかどうかについても解説していますので、興味がある人はぜひ参考にしてください。
紫式部とは
紫式部は天延元年(973年)に生まれたとされる平安時代中期の作家です。
「源氏物語」の作者として知られており、弦楽器を弾いたり和歌が上手なことでも有名でした。
紫式部というのは本名ではなく、源氏物語に出てくる「紫の上」と式部丞(しきぶのじょう)にちなんでつけられたと言われています。
平安時代には本名はめったに口にしなかったため、紫式部の本名は現在も不明です。
紫式部の晩年には諸説ある
紫式部の晩年の様子は、正確にはわかりません。
当時の記録が残っていないため、晩年や死因についてはいくつかの説があります。
三条天皇の長和年間に亡くなった説
ひとつめは、三条天皇の長和年間(1012〜1016年)に亡くなった説になります。
藤原実資の日記『小右記』(1014年)の中で、「紫式部が彰子に仕えていた」という記録が最後に残されているからです。
昭和40年までは上記の説が最も有力でした。
寛仁3年(1019年)に亡くなった説
もうひとつは、寛仁3年(1019年)に亡くなったとされる説になります。
『小右記』(1019年)の中で
「おなじ宮の藤式部…、式部の君亡くなり…」
という記録があり、これが紫式部のことだと言われているからです。
現在は上記の1019年に亡くなったとされる説が最も有力となっています。
紫式部の死因
紫式部の死因については記録が残ってないので、はっきりとはわかっていません。
死んだ時期と予測される年代においても、諸説ある中で
- 最も早い時期で、長和3年(1014年)
- 最も遅い時期で、長元4年(1031年)
と約17年もの開きがあります。
誕生した年が有力誕生年説の天延元年(973年)
とすると41歳から58歳くらいまで生きていたのではないかと推測されます。
紫式部の死因については、はっきりわかっていませんが、平安時代の貴族の平均寿命は、30歳くらいといわれているため、割と長生きされていたのではないかと思われます。
推測ではありますが天寿を全うされたのではないかと思われます。そう願いたいところです。
紫式部は暗殺された?
紫式部の死因は記録が残っていないためわかっていません。暗殺されたのかどうかもわかりません。
平安時代は政治的な暗殺も多かったと言われてるため、紫式部は暗殺された可能性も有るかもしれません。
ただし、生存年齢が41歳~58歳であったと推測されるため平安時代にしては、かなり長生きであったと考えると、暗殺された可能性は“0”に等しいくらい極めて低いと言えるのではないでしょうか。
まとめ:紫式部の死因には諸説ある
ここまで紫式部の死因や晩年の状況などについて解説してきました。
紫式部の死因については記録が残っていないので、はっきりとは分かっていません。
ただし推測年齢が41〜58歳であることを考えると、かなり長寿であったことが予想されます。
紫式部は源氏物語などの文学作品が有名ですが、歴史上の人物としても興味深いと言えるでしょう。